メッセージ


2019年1月20日(日)礼拝説教

 「主がお入り用なのです」

  ルカによる福音書 19章28節~44節

                 

 「〈主〉がお入り用なのです」。この〈主〉は「持ち〈主〉たち」の〈主〉と同じ語です。〈主〉がロバの真の所有者という意味でもちいられています。ロバの持ち主に向かって「ロバのほんとうの持ち主である方」がお入り用です、という問答をしているのです。イエスさまは、持ち主たちが当然自分の持ち物だと思っているロバを、ほんとうの持ち主である主がお入り用なのだ、と弟子たちに言わせたのです。このやりとりは、自分自身を当然自分のものだと考えている私たちに、私たちの本当の主として主イエスがいてくださることを教えてくれます。

 主イエスは、救いの出来事を成し遂げるにあたって、大切な場面で弟子たちを用いてくださいました。主イエスご自身が不思議な仕方でロバを連れて来ることもできたかもしれません。けれどもそうはなさらず、弟子たちに命じ、弟子たちを用いて、事を進めてくださいます。

 弟子たちはいぶかしい思いをもちつつ、それでも主イエスの言葉に従います。これからどのようなことが起きるのかわかりません。言われたとおりにできなかったならどうなるのか、そんな不安もあります。主イエスはそのために予め「ムナのたとえ」を語ってくださいました。一ムナを預かった弟子は、「あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです」と言いました。もしそういう恐れをもったままならば、とうてい主イエスの言葉に従っていくことなどできません。けれどもこのムナのたとえは、主人が預けてくださった神の救いの出来事、福音の出来事を自分の胸だけにしまっておかず、安心して用いなさい、そのようなことが語られています。弟子たちは、主イエスが命じてくださるのだから、それをただ聴いたままで終わるのではなく、主イエスを信頼して歩み出し、歩み続けていくことが大切なのだということを学んだのです。ですから、彼らはロバを主イエスのために用意することができました。主イエスが成し遂げてくださる、その確かさのなかで弟子たちは遣わされていったのです。それは私たちの姿であり教会の姿でもあります。

 本日は定期総会がもたれます。教会が新しく一歩を進めていくとき、さまざまな人間のもつ不安を消し去ることができないこともあります。けれどもそのようななかで主イエスは私たちを遣わしてくださいます。「主がお入り用なのです」。この言葉を携えて私たちは歩み続けます。

 

いま、私たちはキリストの体である教会に呼び集められ、キリストが語りかけてくださる言葉によって遣わされていく者です。神さまが完成させてくださる、その確かな約束のなかにある救いの業であることを感謝と讃美をもって憶えたいと思います。